ヴィエンチャン都 (Vientiane Prefecture)
なお、ヴィエンチャン市(ເທດສະບານ)という行政区分は現存していない.
メコン川の河口から上流の1584kmの左岸に位置し、タイとの国境をなすメコン川にのぞむ. ヴィエンチャンとは白檀(ໄມ້ຈັນ)の都や月(ຈັນ)の都とする説がある. 古くからラーオ族の中心地の一つで、14世紀半ば以降ラーンサーン王国の版図に入り、1563年ルアンパバンから遷都された. 1707年にラーンサーン王国がルアンパバン王国とヴィエンチャン王国に分裂した後にヴィエンチャン王国の首都として繁栄した. その後、1827-28年にタイに占領され破壊されたが1899年にラオスがフランス領インドシナに編入されると行政府が置かれた. 1953年のフランス=ラオス条約によりラオス王国の独立が認められた後には、ルアンパバンの王都とともに、ヴィエンチャンは行政首都となり再興された. その後、1975年の王政の廃止後、ヴィエンチャンはラオス人民民主共和国の首都となった.
市内には仏教寺院が多く、文化や教育の中心地でもある. 都の北東部にはプーカオクワイ保護林、北西部はプーパナング保護林があり野鳥や蝶類、蘭の宝庫となっている.
ヴィエンチャン都は9郡で構成されチャンタブリー郡(ຈັນທະບູລີ)が中心をなしている. 太字はヴィエンチャンの首都機能地域を示す.
地図 - ヴィエンチャン都 (Vientiane Prefecture)
地図
国 - ラオス
ラオスの国旗 |
1353年にラオ人最初の統一国家であるランサン王国が成立. 18世紀初めに3王国に分裂. 1770年代末に3王国はタイに支配されたが 、1893年にフランスがタイにラオスへの宗主権を放棄させて植民地化し、1899年にフランス領インドシナ(仏印)に編入された. この時に現在の領域がほぼ定まった. 第二次世界大戦中の日本軍による仏印進駐や第一次インドシナ戦争などを経てインドシナ半島におけるフランス植民地体制が崩壊過程に入る中で1949年にフランス連合内でラオス王国として独立、ついで1953年に完全独立した. その後パテト・ラオなどの左派と王政を支持する右派、中立派に分かれてラオス内戦が発生したが、ベトナム戦争後に右派が没落し、1975年に王政は廃され、社会主義体制のラオス人民民主共和国が成立した.
通貨 / 言語
ISO | 通貨 | シンボル | 有効数字 |
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LAK | キープ (Lao kip) | â‚ | 2 |